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公開講座報告:性暴力被害者にとっての「こころのケア」(2014年9月)

性暴力被害者にとっての「こころのケア」
~サバイバー,精神科医,フェミニストカウンセラーが語る

9月23日にウィングス京都で公開講座を行った。今回は、シンポジストとして岩井圭司さん、小林美佳さんをお招きして、コーディネーターを井上摩耶子が担当した。現在、京都府の呼びかけで性暴力被害者のためのワンストップ相談支援センターの準備が進められている。そんな中で、性暴力被害者の支援に必要な「こころのケア」について、サバイバー、精神科医、フェミニストカウンセラーがそれぞれの立場から語るという今回の講座は非常に意味のあるものだったといえる。以下に内容を報告したい。

● 岩井圭司さんのお話
  (兵庫教育大学教員 精神科医 臨床心理士)
心的外傷(トラウマ)とは
肉親が病気で亡くなったり、失恋したり、離婚したり、失業するなどは「悲しい」出来事かもしれないけれど、心的外傷ではない。心的外傷は、「恐怖」を伴うものである。心的外傷体験によって外傷性ストレスになり、それが自然に回復しないで症状が残るのがPTSD(外傷後ストレス障害)である。心的外傷はPTSDやパニック障害、うつ病、アルコール依存症など様々な病気を引き起こす。しかし、トラウマ以外でPTSDにはならない。
PTSDの症状は、DSM-5(アメリカ精神医学会の精神疾患の診断・統計マニュアル第5版)でそれまで3大症状だったのが、4大症状になった。
「侵入症状、再体験症状」は、フラッシュバック、悪夢などである。たとえば黒いコートの中年男性にものすごい反応をする。そうすると黒いコートの中年男性が出没する場所を避けるというのが「回避症状」である。そうなると冬場は全然外出しない、TVが見られない、ということになってしまう。「過覚醒症状」は不眠や知覚過敏。自分も阪神大震災で被災して、しばらくは家の近くをトラックが通って家が揺れるだけで、また地震がきたんちゃうやろかと思った。そういうのが「過覚醒症状」である。それに「認知と気分の陰性変化」を合わせて4大症状である。

孤立無援感について
トラウマにさらされてもPTSDになる人とならない人がいる。その違いは何か。「孤立無援感」が強い人はPTSDになりやすいし、回復もしにくい。PTSDからの回復の最大の阻害因子は孤立無援感である。
性犯罪被害者の場合は、なかなか口に出せない。同じ被害者となかなか出会えない。被害者バッシングもある。震災などと比較して孤立無援感が大きい。
フラッシュバックがあるなしに関わらず、トラウマで真に恐ろしいのは不信感が埋め込まれることである。まさしく離断といえる3つの不信感がある。「世界、社会に対する不信」「人間(他人)に対する不信」そして、「いつまで経ってもへこんでいる自分(私)に対する不信」である。
回復の手がかりとしては、孤立無援感を軽くすることである。PTSD症状自体はあまり問題ではない。肝心なのは、孤立無援感の軽減であり、人間の絆の回復である。「よく話してくれましたね」「それはつらかったでしょう」「あなたは悪くない」などの言葉かけが有効である。

治療、ケアについて
思い出したくもないつらい症状がいきなり侵入してくるのではなく、治療者とともにつらい体験をとらえ直し、恐怖を安心・安全と置き換えていくのが治療、ケアである。
「治療」はとにかく治すことをめざすが、「ケア」は「いま、ここで、できること」や「生活再建」に重点を置く。外科手術が痛いように「治療」はつらいものだが、「ケア」は、苦痛の軽減と安心の確保を目指すという違いがある。
トラウマの原因療法としては、病因を断つ「持続エクスポージャー(PE)」があるが、それに対して病因に負けないレジリエンス(回復力)を強化する「マインドフルネス(Mf)」がある。マインドフルネスは、心に浮かぶ思考や感情に従ったり、価値判断をするのではなく、ただ思考が湧いたとき一歩離れて観察することで、否定的な考え、行動を繰り返さない(自動操縦されない)ようにするものである。トラウマについて忘れろと言われても無理で、忘れようと思えば思うほど考えてしまうからである。

記憶のケア、「語る」を支えるケアへ
社会にはトラウマを忘れ去りたいという働きがあるが、忘れないようにしようという考え方もある。遺族には「忘れていく」ことへの抵抗がある。自分が忘れてしまうと世間から忘れられてしまうという、世間の記憶の風化への抵抗がある。だからこそ社会で記憶は共有しなければならない。
また、現在の「プラス思考」ブームの陥穽を指摘したい。たとえば、「過去にとらわれず前向きに」「常に前向きであらねばならない」「常に自分に発破をかける。ファイト一発!」「泣くのが嫌なら、さぁ歩け~♫」などがポジティブとされている。しかし、真のポジティブ思考とは「失敗も財産のうち」「大抵の場合、やり直しはきくものだ」「捨てる神あれば拾う神あり」「やまぬ雨はない」「困難からは逃げろ。勝つために逃げろ!」「常に困難に直面できる者などいない」「計算通りに事は運ばない。あなたの人生は決められてはいないのだから」「そのうちなんとかなるだろう~♪」などである。
最後に「不安をとりのぞくことなんてできないんだから、不安なままで安心しなさいな」という言葉を送りたい。

● 小林美佳さんのお話
  (『性犯罪被害にあうということ』・『性犯罪被害とたたかうということ』著者)
2004年8月31日に被害にあった。被害から14年になる。仕事から帰る途中に車に引きずり込まれて、目隠しをされ、音楽がガンガン鳴っていて、耳元でカッターナイフのカチャっという音がした。そのときに思ったのは「殺される」「生きて帰れない」ということだった。そして「生きて帰りたい」「死にたくない」と強く思った。だから抵抗する、暴れるなんて考えもしなかった。歯を食いしばって我慢した。その間は20分くらいだったけれど、車から降りてから「自分は汚い」「みっともない」「人には話してはいけない」「言ってはいけない」「誰にも言えない」と思った。
その後、元彼に連絡して、警察に行き、女性の刑事さんに婦人科にも連れて行ってもらった。7年後、被疑者不詳で事件は不起訴になった。
翌日、仕事に行った。休む理由を口に出せなかったからだ。人に相談できなかった。

PTSDの症状
岩井先生の話を聞いて、「私はPTSDだったんだ」と改めてわかった。症状としては、被害が駅から自宅の間で起きたので、駅に向かおうとしたら、駅に向かっただけで倒れてしまった。意識をしばらくなくしていた。それで別の駅を使うことにした。
電車で隣に犯人と同じような体格の男の人が立っただけでもどしてしまった。電車の中で水着の写真や集団強姦の記事などが広告に載っているともどしてしまう。
食べられない、寝られない。パチンコ屋さんでガンガンと大きな音がすると倒れてしまう。
でも、それが被害と関係があると思わなかった。悟られないように毎日生きるのに精一杯だった。
4ヵ月後に打ち明けた母は「なんで今頃話すんだ」「今まで感じ悪かった」という反応だった。そして「今の話は2度と人前でするんじゃないわよ」と言われた。それで、自分は「人にとって迷惑なダメな存在なんだ」と思った。
岩井先生が説明された中の「人に対する不信感」「自己の否定」が自分にもあった。でも、被害にあったときの「生きたい」という強い気持ちが支えだった。あれだけ生きたいと思ったから生きていこう、と思っていた。
フラッシュバックになると真っ白になって何もできなくなるけれど、予兆があるので、トイレでそうなれば大丈夫とか、寝られないのも3日目には寝るとか、自分なりに策を考えればそれまでと同じ生活を過ごすことができた。3年経って結婚して、普通の生活に戻ったと思ったのだけど、離婚して逆戻り。被害直後の状態に戻ってよけい悪くなった。

カウンセリング、心のケアについて
これはマズイと思って、その頃はネット検索ができるようになっていたので検索をした。7~8年前は今のように犯罪被害者支援、心のケアというのを見つけることができなかった。カウンセリングは何軒も探した。忘れられないのは2軒目で、白衣を着てポケットに手を突っ込んで話を聞いて、私が被害にあったことを話すと、笑顔で「わかりますよ」と言われたこと。わかるわけないだろうと思った。
予約のときに「カウンセラーは女性がいいです」と言っても、「ここはクライアントの希望は聞かない」というところもあった。精神科はハードルが高い。「PTSDと診断されてもどうなる?」と思っていた。8軒目に被害者支援を前面に出したところがあって、この人ならと思える人に出会った。2週間に1回のペースで通って、「2週間我慢すればあの人にしゃべれる」と思えるようになった。
孤立無援感の打破
そのうちサイトで7人の当事者に出会って遊びに行ったりした。当事者同士だと言ってはいけないということがない。同じ体験をしたので縛りがない。被害に遭う前と同じ状態に戻れた。隠し事をしなくていい。自分が悪いと思わなくていい。
2008年に本(『性犯罪被害にあうということ』)を出したところ、毎日メールが来るようになった。男女も年齢も問わず、自分も被害にあったと。みんな「言えなかった」「言えない」「内緒にしていく」という、誰にも打ち明けない人ばかりだった。孤立無援感だった。私は支援者じゃないので「わかる」と言う。「理解」を口にしている。「孤立無援感の打破」ですね。
カウンセリングや友だちにたどりつくまでの時間は、人や社会を信じられずにいた。そんな中でも、一つ皆さんに紹介したいエピソードがある。
被害の翌々日に現場検証に行ったときに、代わる代わる男の刑事さんが入ってきて声をかけてくれた。でも、自分はうっとおしくてしょうがなかった。被害の現場に向かう途中で、前を歩いていた刑事さんが「自己紹介してなかったね」といきなり目の前に警察手帳を突き出してきた。手帳には舘ひろしの写真が貼られていて、え?と思って思わず笑ってしまった。被害の2日後に確かに笑った。父親や兄は公園に張り込んで犯人を探そうとした。みんな犯人に関心が向いているように思えたときに、犯人に向かうんじゃなく、自分と向き合ってくれる人がいた。きっと自分に向き合ってくれる人がいるに違いない、社会に対する信頼感の意地みたいなものを持った。
どんな言葉をかけたらいいか聞かれたりするけれど、先ほどの岩井先生のお話を否定するわけではないけれど、この言葉を言えばいいというのではなく、どんな言葉でもいい。どんな言葉でもいいからきっと最善の言葉がある。被害者に向き合ってほしい。

● 井上摩耶子の話
  (ウィメンズカウンセリング京都) 
フェミニストカウンセリングとはPersonal is Political (個人的な問題は政治的な問題である)というフェミニズムの視点、ジェンダーの視点に立ち、女性の人権侵害を扱うカウンセリングである。問題はあなたにあるのではなく、加害者の問題であり、性暴力を容認する社会の問題であるという「ジェンダー心理教育」を行う。女の「ノー」は「イエス」のサイン、男の性欲はコントロールできないのだからスキを見せた女が悪い、ちゃんとした女なら死ぬまで抵抗したはずなどの「強姦神話」にみられる社会のジェンダー・バイアスに対して、裁判支援、法廷への意見書提出・専門家証言など性暴力被害者のアドヴォケイト(代弁・擁護)活動を行う。

フェミニスト・トラウマカウンセリングの実際
回復には、基本的安全感の確保、外傷物語の再構築、再結合の三段階がある。
外傷物語の再構築(想起と服喪追悼)では、ジェンダー心理教育(「あなたは悪くない」)によるストーリー化を行う。ナラティヴ・アプローチによって、カウンセラーは、その被害者のナラティヴ(語り)を、被害者と協同して「強姦被害者物語」に再構築する。それは、社会に「支配的な物語」として流布されている「強姦神話」に対抗する「もう一つの物語」としての「強姦被害者物語」の再構築である。
再結合とはサバイバーの社会的回復であり、エンパワーされた被害者は、強姦加害者や強姦を容認している社会と闘い、社会的正義やジェンダー正義を追及しようとする「サバイバー・ミッション」を発見することもある。このプロセスをともにするカウンセラー、精神科医、弁護士、サポーターとの出会いによって、社会的つながりを回復し、孤立無援を脱し、世界や他者との再結合を果たす。

● 井上さん、小林さんから、岩井さんへの質問
Q:福祉に心のケアが入っていないのはなぜ?
A:行政に心のケアの考えがないということもあるが、精神科医、カウンセラーの責任もある。カウンセリングルームの中でいいカウンセリングをするもので、アウトリーチなんてとんでもないという考えがある。ある臨床心理士がスーパーバイザーとして「アウトリーチするな」と指導していた。カウンセリングルームの中で行うそのままの手法ではできないかもしれないが、アウトリーチの手法はあるはず。
精神科医も、研究至上主義で、MRIを使って脳の損傷など機能的な説明をしようとするか、地道な地域精神医療をやっていて、PTSDやこころのケアはどうかと思っているかの2つに分かれている。そのどちらでもない第三の道を切り拓いていく責任がある。これまでの精神医学には心の問題は入っていなかった。
司法に引っ張り出されるのを嫌だという精神科医も多いが、それは司法にも問題がある。奈良の放火事件で鑑定記録を公開したとして起訴されたのは鑑定医だけ。見せしめ的なやり方で、裁判に関与することが怖くなってしまう。しかし、裁判に専門家が関与することは当然のことである。

Q:裁判とPTSDについて
A:PTSDについての鑑定は、傷害罪でこの凶器で傷がつくかどうかという鑑定と同じようにはいかない。他の要因で起こったPTSDとの区別はつかない。主観性要因といって、同じような体験でも、またそれが軽いトラウマ体験でも人によって重い症状になることはある。
それではどういうことを意見書で書くかといえば、合意があったと主張してくる加害者に対して、被害者の主張の事実があったとしたらPTSDの症状が説明できるが、加害者の主張なら説明できない、ということを書いている。
医学的症状や病名については書けるが、事実認定は鑑定の責任ではない。裁判長の心証で事実があったとなれば、鑑定が引用されることになる。事実認定を依頼されても書けないということもあるだろうが、医師はすぐに断るのではなく、こういう鑑定事項だったら受けられると伝えたらいい。

Q:意見書や鑑定書を頼んでも書いてもらえないという話はよく聞く。岩井先生のように書いてくれる人にはどうやってたどり着いたらいいのか。
A:医師は、診断書は頼まれたら書かないといけない。PTSDと書けなくても言える範囲で書いたらいい。自分は初診から「極度の不安と緊張状態、PTSDの疑い」と書く。
鑑定書は断ることができる。金額が安いから断るというより、面倒だということが大きいだろう。
大学付属のカウンセリングセンターで「性暴力被害も扱う」とあるところや、犯罪被害者支援センターから地元のカウンセリングルームを紹介してもらえる場合もある。警察は縦割り行政なので、所轄よりは県警本部などにアクセスした方が確実だと思う。

● 会場からの質問
Q:男性やセクシュアルマイノリティの被害者について。
小林さん:メールでやり取りしている被害者のうち5%くらい男性被害者がいる。会ったりすることもある。印象としては窮屈そう。女性より相談できないようだ。セクマイの方とも交流があって、多様なのですごく難しい。偏見や社会の圧力はぶ厚いので薄くなる方法を考えていきたい。

● 最後のコメント
岩井さん:自分は精神科医としてのキャリアは30年だが、そのうち20年間トラウマに関わってきた。最初の10年はクライアントさんを理解しようと努めていた。でも、理解できたと思うのは危険。被害者にとっても理解されるのは侵入されること。理解できなくても一緒にやっていくというふうに変わってきた。ジャッジメントした(=裁いた)り、コメントしたりするんじゃなく、愚鈍な立場で聴き手になるというのが大切。ナラティブ=伝える情報より、ともに語る(浸る)情報を、と考えている。
小林さん:支援者が望む当事者像があったり、当事者の望みじゃなくて何か支援者のつくったレールがあってそこに乗っけようとしているように感じることがある。当事者は支援者が言うなら乗っかるしかない。いい子なふりをしている当事者がいる。当事者に気を遣わせていないだろうか? 初心に戻ってもらえればと思う。人としてできることを考えてほしい。マニュアルもあるかもしれないけれど、違うところがあれば見直してほしい。
井上さん:医者もカウンセラーも、マニュアル化されたものによってではなく、対等な関係を作っていくことによって支援していきたいなと思う。

● 当事者の立場に立ったワンストップセンターを
 岩井さんからの「PTSDからの回復の最大の阻害因子は孤立無援感」、小林さんの「被害者に気を遣わせていないか」「(事件や加害者ではなく)被害者に向き合ってほしい」など様々な心に残る言葉があった。当日の参加者の中には、支援者の立場の方も多く、アンケートでは「小林さんの言葉を心に刻んで支援していきたい」というような感想も多くみられた。京都で開設されるセンターでは、当事者が人、社会、自分自身への信頼感を回復できる支援を実現できればいいと思う。

                                              (WCKニュース第72号より転載)
by WCK-News | 2014-10-25 00:00 | WCK公開講座報告

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